揚げたてのコロッケを、棚に入れるタイミングと会計が重なった。
油の匂いが店内に広がっていて、レジの前の空気が少しだけ熱を帯びていた。
彼女は揚げ物用のトングを片手に持ちながら、私の方を一瞬見て、すぐに視線を逸らした。
その仕草に、わずかな苛立ちを感じた。
「このおっさん、チッ」と思ったに違いない。

新聞を3紙買う。
「ありがとうございました」の一言がなかったのは、機嫌を損ねたからだ。
そのことが気になって、お釣りを上手く取れなかった、少しだけ手が震えた。
20代前半くらいだろう。長い黒髪が白い肌を際立たせていた。
背丈は160センチくらいで、線が細くてトングで筋トレができそうだ。

顔を上げることなく、終始下を向いたままで、接客業ができるのだろうかと思ったけど、そんなことは大きなお世話だな。機嫌を損ねているのだから、顔を上げたくないのも、声を出したくないのも、無理のないことだ。
ここまで分かりやすい態度を取られると、かえってこちらが悪いことをしたような気持ちになる。
タイミングを見計らってレジに行くべきだったか。
あるいは「先にどうぞ」と言えばよかったのか。

客は私だけだった。
考えてみれば、どちらにしても結果は変わらなかったのかもしれない。
悪いことをした。
「すみません」と一言謝っておけばよかったかな。
けれど、あの年頃の店員に話しかけたら、「おっさんに話しかけられた、キモっ」と思われるかもしれないし、おじさんはおとなしくしているに越したことはないと結論が出た。
黙っていても何かと迷惑がられるし、だから外に出ない方がいい。
人と関わるたびに考えることが増えて、引きずることが多くなった。

コンビニを出た。
店の外の空気は少し冷たく、さっきまでの油の匂いが服にうっすら残っていた。
いつまでも考えて引きずる性格は、昔から変わらない。
家に帰ってからも思い出しては反省し、またどうでもいいようなことまで思い返してしまう。
車に乗ろうとしたとき、背後から声がした。
「おきゃくさーん! おきゃくさーん!」
明るく、陽気を纏った声だった。
思わず「はぁーい」と返事をしたくなったが、踏みとどまった。
振り向くと、さっきの黒髪の彼女が、伏し目がちでこちらに向かって歩いてくる。

外の光の下で見ると、店内よりもさらに肌が白く、少し眩しかった。
「忘れましたよね、3紙買いましたよね、これ、忘れてます」1紙忘れていたようだ。
早口だったが、苛立ちの様子はなく、温かみを感じた。
一生懸命さに少し胸が高鳴った。
私は焦って、「あー、そうですね、3紙買いました、すいません、ありがとうございます」と同時に彼女は戻って行った。
受け取った瞬間の熱が、少しだけ残っている。感じたことのないざわめきだ。

しばらくエンジンをかけずに座っていた。
あの短いやり取りの中に、自分でも説明できない感情があった。
恥ずかしさと、安心と、少しの高揚。
どうしてそんな気持ちになったのか、自分でもよくわからない。

ミラー越しに自分の顔を見る。
少し疲れた表情をしているのはいつものことだけど、どこか穏やかにも見えた。
何でもない一日に誰かと交わした言葉が心に残る。
それが、忘れ物を渡されただけの出来事であっても。
新しい性癖を発見したかもしれない、怒られる快感。
冗談ではなく、本気で思う。
彼女が怒っていたのかは、分からない。勝手な想像で決めつけたことだ。
でも、確かに棘のある言い方ではあった、その棘に刺された、自ら飛び込んだのかもしれない。
また言われたい。