糸がほつれたのは、シャツだけじゃなかった

ポケットの糸がほつれて、直しに出した。
そこは地元ではちょっとした有名店で、昔からあるのは知っていたけれど、いつからあるのかはわからない。アパートの一室くらいの広さので、おばあさんが一人で営んでいる。店の壁際に、たくさんの洋服がならんでいて、真ん中にミシンが1台と、カラフルな糸がたくさん並んでいる。

注文をした帰り際に言われた、「あら、かわいいシャツ着て、似合うわね」が、ずっと胸に残ってる。

褒められたことなんて、あっただろうか

思い返せば、服を褒められたことって、ほとんどない。
ただセンスがないだけだろう。
だからこそ、洋服のプロに「似合う」と言ってもらえたことが、やけに誇らしかった。

シャツは自分で選んで、気に入って着ていたものだった。
高価なものでもないし、例えそうでも浮くだけだろう。
「普通」が認められた気がして、その日は特別になったのを覚えてい

わかってもらえない言葉に、線を引く

嬉しくて、友人に「褒められたんだ」と話したとき、「それ、若い女性に言われたなら嬉しいよね」なんて返された。
笑ってごまかしたけど、なんだか苦しくなって、それ以来、その人とは少し距離を置くようになった。

価値観の違いだってわかっていた。別に怒ったわけでもない。
でも、どうしても受け入れられなかった。

私はこうやって、線を引いてきたんだ。
合わない人は、どれだけ時間をかけても合わないし、少しでも歩み寄ることもできない。
無理に合わせる必要もない、と思うことでなんとかバランスを保ってきた

「繊細」って、もっとダサくてリアルなことだ

繊細だから気にしすぎるんだろうか。
気になって検索すると、丁寧に「さん」付けで、「繊細さん」なんて言われているようだけど、小馬鹿にされているようで嫌だ。
しかも出てくる言葉はマイナス列挙。

「社会的弱者」「こっちが気を使ってめんどくさい」など……落ち込むだけだ。
そういうレッテルを貼られると、ますます生きづらくなる。
そうか迷惑なんだなと変に納得してた。これは直るものなのか。

SNSでのひと言に、勝手に傷つく

SNSの返事に、過剰に反応してしまう自分がいる。
馬鹿にされたとか、怒ってるとか、勝手に妄想してしまい、考え込んで勝手に落ち込んで、勝手に怒ったりもする。

自分でも面倒くさいって思う。
もっと受け流せばいいのにって、頭ではわかっているのに抑えが効かない。

ガラスより弱くて、風に勝てなくて

ガラスよりも弱いのかもしれないと思う。
風が吹けば立ち止まって、動けなくなる
壁に向かって独り言をつぶやいて、自分をなだめる。

自分が嫌になったことは、何度もある。
でも、人間から少し距離を取ってみたら、ほんの少しだけ楽になった。
それでも、この繊細さはずっと残るんだろう。消せるものじゃない。

子どものころから、変わってない

悪口でもなんでも、受け流す力があると思っていたけど、それは強がりだったんだ。
気づいてからは、それでいいんだ、と受け入れることにした。
子どものときから、変わっていない。

気持ちが沈むと、朝も夜になるし、夜はもっと深い夜になる。
心の影が濃くなって、自分の居場所がなくなる。
探すこともできない。出てくるのを待つだけだ。

「似合うね」のひと言で、救われる日がある

落ちているときに思い出すのが、おばあさんのひと言だ。
「似合うわね」のひと言が、今でも私を慰めてくれる。
壊れやすい心に、そっと乗せられた言葉は温かい。
誰かの何気ない一言が、その日を生きる理由になる。
そういうことも、あるんだ。