先日、ナイター中継を見ていたとき、どちらが先に死ぬかという話になった。なぜそんな話になったのかは分からない。
「おれは先に死ぬ」と普段から思っていたことを言う。理想の願望で希望のように先に死ぬことが明るいことだと思っている。
「なんでさ、私が先だって」と妻が被せるように言ってきた。妻が先だと何もないところで溺れ苦しむことができる。それが毎日続くのかと思えば、今から苦しくなってきた。
極度の寂しさが不安を煽ることはいつものこと。
どちらが先の根拠なんてないし、答えの出ないことを言い合ったのはなんだったのか。
「おれには時間がない、時間がないんだ」は決まり文句。
「またそれを言う、何でそう思うのさ」に「時間がないから」しか返せない。
こんなことは分かりもしない、口を開けば語彙の少ないロボットのように発している。
いつも決まっていて、オチなんて無い。
試合を見ながら話す内容じゃないことは分かっているのに、つまらないことを言ってしまった。
不安定な心が暗い部分を引っぱり出しているのか。
太陽は眩しい、風は冷たい、揺れる草の音、野鳥の細くて鋭い鳴き声、カラスはうるさい、毎日生きている。
中高年の婚活理由が「独りで死にたくない」という人が多いらしい、自分も似たようなことを言っている。妻がいても孤独を感じるし、妻より先にと思ってみたけど、死んでしまえば独りの世界かもしれない、結局孤独なのかもしれない。
「淋しくなるからダメだ、おれが先」「そんなのこっちだって」どちらも引かない会話を断ち切ったのは、逆転満塁ホームランだった。
2人で手を上げて、テーブルを叩いて喜んだ、どちらが先なんてどうでもよかった。
最下位のチームでも勝てば嬉しい、気持ちも晴れる。一緒に喜べる相手がいるのに、なんてくだらない話をしたのだろうか。
先のことは分からない
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